丹波通信1309 そして兄①はK病院へ
丹波通信書き出した頃の2000年は、まだ4歳でビービー泣いていた兄①です。10月で、生意気にも24歳なんかになりまして、大学6年生です(^^)v大学ではバドミントン部のキャプテンもしていましたしクラブの後輩やけど歳上(笑)のかわいい彼女も出来ました。近畿大学医学部に入った頃は「やっぱり医学部に入るべきや無かった…難しいすぎるし回りは天才ばっかりや…」と言ってみたり「仮面浪人して国立を受け直す」と言うてましたが流されました~(笑)
勿論、私は、そうなる事が解っていました。仮面浪人出来るほど時間に余裕なんてある訳がない。日々の勉強と実習も覚束ないだろう…と。医学部、獣医学科は春と秋に懇談が必ずあります。私は兄①兄②と娘が…保育園の頃から懇談会は、ほぼ皆勤賞です(^^)v妻より出席率は良いですね。ま、毎回私の様に来ているお父さんはいませんでした。勿論、参観日、運動会、マラソン大会も必ず行きました(^^)v
1年、2年の頃は、そう言う訳で成績もふるわず120人中真ん中辺りでした。全体懇談会の後の個人懇談で、私が教授に「メッチャ勉強してるのに、この成績か…って本人が言ってました」と言うと…教授は成績表に眼を落として「この成績で…メッチャ勉強した…と言うのは、甚だおこがましいですな…」と一蹴されたもんです(;´д`)
先日、本人に聞いてみると…「あの頃は医学部に行っても何をしたら良いか解らなかったし進路を間違ったと思っていた」と。当時、霊能者のゆかりんも「兄①さんは目標も無く医学部に入っても何も先の事が見えてないですね…」って言われてました。5年になってからは「首席で卒業しますよ!」と言っていました。ま、首席は無理でも、それを言い切れるのは偉いと思いますわ~。
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