丹波通信1215 33歳で丹波篠山に移住した理由
1995年10月17日に丹波篠山において長い間の夢であったログハウスが完成しました(^^) で、翌日に兄①が生まれました。本当は予定日は10月下旬だったのですが17日に完成して、ログハウスの回りに落ちている木切れや釘等を妻は遅くまで片付けをした為に翌朝早くに破水したのです。で、翌朝生まれました。
敷地は800坪購入しました。最初は二階建て5LDK。5年後に増築+隣に1LDK +2台のビルトインガレージ新築。所謂、『離れ』です。畑50坪、田んぼ350坪、果樹園100坪。米も野菜も果物も自作です。勿論オーガニックです。子供たちは妻が作った有機無農薬の野菜を食べ、手作りのおやつと果樹園で出来た果物や梅やシソで作ったジュースを飲んでました。果樹園は古くはお茶も栽培していた様で、お茶も自然に取れました。ソレを焙煎したり、庭にいくらでも自生する『ドクダミ』を摘んで干して『ドクダミ茶』をもっぱら飲んでました。
そのルーツは西宮の実家にあります。元々、西宮の中央市民病院の東方の庄屋であった我が家は、父の代まで百姓をしてました。私が5歳までは専業農家でした。私もよく畑に行ってました。いまだに謎なのが、畑に行くと何故か陶器の小さなオハジキやビー玉が土の中から出て来るのですよね~。5歳迄に結構大きな箱いっぱい貯まりました。幼児の私は、オハジキとビー玉は畑で自然に出来る…と真剣に思っていました。
で、畑で蝶やトンボを捕まえて、前の川でメダカやフナやドジョウをすくいました。実家の敷地は300坪と広く、畑や田んぼが沢山ありました。19歳でオーストラリアに1ヶ月ファームステイした私は「子供は広い敷地と農場のある所にレンガ造りの家を建てて育てる」と決めました。家はログハウスになりましたが、ほぼ計画通り、そうして7年前に現在の石張りの家を建てて引越しました。結果、ログハウスで15年間しっかり子育てをしました。今の自宅は妻の希望で駅前です。敷地は120坪。今年、隣地110坪を購入しました。
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