丹波通信1046 ああ…千鳥荘

大学新卒で就職先が無い・・・なんて、私が大学新卒の昭和62年・・・最近は西暦で皆さんおっしゃるので・・・1987年は全く考えられませんでした。私は結果、大学では1年留年したのですが、当時の大京観光・・・今のライオンズマンションの『大京』と『三井のリハウス』だけに履歴書を送りました。結果大京は何の返事も無く、三井は素早い、かつ、丁寧な返信を頂き試験と面接を梅田の本部で受けました。そして合格し入社です。

当時の私は京都の桂から車で15分程北の方の大枝沓掛・・・と言う京都芸大前の賃貸マンションに住んでいましたので、勤務地に決まった芦屋近辺に転居の必要がありました。桂のマンションは新築の2DK。家賃や駐車場で8万円程しました。優雅な大学生ですね。芦屋は勿論、当時も不動産は高かったです。しかし8万円も出せば同様の2DK位は借りれました。しかし私は考えた。「0からの出発や!」で、敢えて安いアパートを探しました。

探したのはピンポイント。馴染みの深い、西宮市甲子園口駅周辺。ここは私の母校、鳴尾高校の校区でした。又、甲子園口→芦屋は、二駅10分。見つけたアパートは甲子園口4丁目の 「千鳥荘」と言う名の二階の南西角でした。6帖和室と4.5帖台所。電話線無し、冷暖房無し、湯沸し器無し。勿論、風呂無し、共同トイレ、しかもポットン。この部屋で家賃は18000円でした。前の道路は駐禁と違いました(^^)

木造二階建の二階の南西角は、夏は、思いっきり暑く、冬は堪らなく寒かったです。しかし夏は扇風機でしのぎ銭湯通い。冬は丸いコンロ式の石油ストーブで毎晩一人鍋で日本酒を食らって・・・と言う生活でした。その生活が1年半続きました。

丹波通信

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