丹波通信875 家賃18000円のアパート

今の篠山口駅前の輸入住宅で私は独立してから、ちょうど10軒目の自宅になります。その間、借家は3軒。7軒は持家です。今でこそ駅前で大きな持家に住んでいますが大学を卒業して最初にお世話になった住居はJR甲子園口から南へ徒歩10分のアパートでした。木造2階建。4.5帖のキッチンと6帖の和室。風呂無し。トイレ共同。当時(昭和62年)は、まだ銭湯も少しありました。甲子園口の南には2軒ありました。私はいつも酔って最終で行っていました。

家賃18000円…と言うのは、幾ら「風呂、トイレ無し」と言えど、かなり破格の家賃でした。私は高校生の時から働いていたので多少のお金は持っていました。多分2000万円位は貯金があったと思います。しかし…「もぅ学生気分は払拭して4月からは名実共に社会人や!0からの出発!」と決意する為にも最も安くて生活に不便を強いる物件にしました。「ここから下には堕ちる事も無い」 と言う境遇にしました。

立命館大学時代は桂の2DK、駐車場込で8万円程の新築マンションに住んでいたんですから…。覚悟が違います。同期は親の家に住んでいる奴らが殆どです。その後1年半で2回目の結婚。苦楽園口の大変良い処の2LDKの新築賃貸マンション9.8万円に移りました。その後1年以内にJR六甲道徒歩10分の処に建つ三井不動産の新築マンション、パークハイムを4580万円で購入しました。頭金は800万円です。この時、私は26歳でした。

今、思うと矢張あの昭和62年の甲子園口の1DKの18000円の古いアパートが原点だったと思います。あの頃でも、会社の先輩や経理の女子社員にバカにされました。「千鳥荘?くさ~!」って…(-.-) そんなアパートに暮らすのは私だけでした。まして今の若者なんて、絶対に住めないと思います。ウチの子供達なんて無理でしょう。私はあの経験があるので、今でも千鳥荘みたいなアパートから再出発出来ます!ちなみに今の自宅は10年ローンなので、支払いはあと8年で終わりです(^O^)v

丹波通信

中嶋祥人の丹波通信 トップセールスマンの歯に衣着せぬ物言いで人気のコラムをHPでも発信中

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