丹波通信741 50歳になったら趣味を…

本当は40歳が人生の折り返し点だったので、もう少し早くに自分の時間を作り二度目の青春とでも言いましょうか・・・自分の意のままに第二の人生プランを作っておかなければいけませんでした。しかし私の40歳は、ソニー生命に転職を決断した歳であり子供も長男が小2になったばかりでしたから仕事の鬼でした。次男は小1、娘は幼稚園にも行ってませんでした。

S不動産の時も、かなりの仕事の鬼でしたが、休みはキチンと取っていました。定休日の火曜日・水曜日は確実に休み、盆・正月・GW等で休みは年間120日もありました。今は年間10日程でしょうか(^^;。時には元旦でもお客様にお会いしています。

伊能忠敬が日本地図を作る旅に出たのは齢50の時でした。人生50年の時代でです。まさに第二の人生を全く新しい分野へ踏み出した訳ですね。私も、そろそろ『家族の為』とか『趣味は家族です』なんて事を言わず自分の意のままに生きよう・・・と、無理にでも考えないといけないなぁ・・・と考えています。4歳の頃から始めた釣りもスッカリしてないし、大学の時から始めたゴルフは全く行きません。誘われても全て断っています。元々ギャンブルは大嫌い。タバコは吸わないし、女性は苦手です(^^;。映画や演劇に行くでも無し。旅行やドライブもしませんねぇ。昔は車やオートバイで走り回っていたのに・・・。  

何がええんやろ~? 本当に今から何か見つけておかないと子供達が巣だった時に、友人もいない・・・趣味も無い・・・では本当にツマラナイ余生になりますよね。酒・・・だけでは余りにも虚しい人生です。しかも依存症なんて悲しすぎる(-.-)。しかし長年遊んで無かったら本当に何にも思い付かないものですね(>_<)。18の時に、朝フッと思い立って佐渡島に行った時の様に、フッと旅に出て独り温泉に浸かって酒でも呑んでこれからの人生を考えてみようか・・・と思います。

丹波通信

中嶋祥人の丹波通信 トップセールスマンの歯に衣着せぬ物言いで人気のコラムをHPでも発信中

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