丹波通信480 遺書・長男へ
お父さんは今年47歳になります。 貴方もご存知の通り父のお母さん…つまりおばあちゃんは父が高1、15歳の時に肝臓がんで49歳と言う若さで亡くなっています。だから父もいつ何どき亡くなってもおかしくないので貴方にお手紙書いています。
貴方は平成7年の阪神大震災の年の10月に産まれました。逆に言うとあの大地震が無ければ産まれて無かったかも知れません。父とお母さんが地震をキッカケに子供が欲しいね…と言う事になったのです。母のお腹に貴方が宿った…と聞いた時はそれはそれは嬉しかったです。 こんなに嬉しいと思った事は恐らく過去に無かったとさえ思いました。
貴方はお天気の良い10月のお昼に産まれました。本当ならその日は父は専務と釣りに行く予定でした。しかし病院に行き貴方が産まれる迄ズ~ッと母の横にいましたよ。そうして元気良く小さく産まれました。父は嬉しくて涙が後から後から止めどなくあふれました。
貴方の良い処は…父が叱っても数時間も経てばケロッとしてる事。父が夜に貴方を物凄く叱った翌朝は必ず気になって母に電話しました。「どぅや?」 母「元気やで!」 そぅ聞く度に「まだ子供やのにあんなにきつく叱らんかったらよかった。」と、常に後悔して眼が潤みました。
貴方は本当に真面目な人です。 幼稚園の頃から遊ぶ前にちゃんと少しだけでも勉強して、それから一緒に川によく行ったね。 父が魚を沢山釣って、その魚が苦しそうにお腹を上に向けているのを見て「ターチャン(お父さん)、ウィッチュ(フィッシュ)ねんね!」って言ったのがとてもかわいかったです。
お庭で円形のプールもよくしたね。 貴方は必ず「お父さんも入り!」ってプールを指さして言ってた。 父もちゃんと入ったよね。 夏も真冬もデッキで毎週バーベキューしたね。 夏は蛍が飛んで来たね。 そしてそのままデッキにテントを張って寝るのが好きでした。 小学生になると結構勉強出来るから父が上手に貴方を乗せてH学園の入塾試験を受けて、合格したら貴方は意外にも「ここに行く!」って。 父は正直驚きました。 しかしその後の父の対応が失敗でした。
当時貴方と同じくらい勉強が出来る次男を、あろう事か貴方の学年に飛級させる!と考えてしまった。 これを貴方に言った時の貴方の驚きと、何とも言えぬ嗚咽…。決して忘れない。今でも思い出すと、とても胸が痛みます。その日を境に貴方はみるみる元気が無くなり、あちこちの体の不調を訴え学校も行かなくなりました。診断は心身症。父は何と言う親なんや!と、何度も自分を責めました。
H学園入塾前日の夜更け、父は決断しました。「塾に行きたく無いなら辞めよう。お父さんは元気が戻ってくれる方が嬉しい…」と。(その時貴方は、まだ8歳)そうして貴方は少しずつだけれど元気になって来ました。覚えてるかなぁ。
学級が崩壊して貴方が「ちゃんと勉強したいねん。」と母に言ってからの受験体制だったから小6からでした。 しかし真面目な貴方は夏休みや冬休みは毎日塾に行き授業が終わっても自習してたね。朝9時~夜10時まで。凄いよ貴方は…。そして合格発表。父の携帯にスグに電話してくれましたね。「お父さん!理数に合格した!」運転中の父は涙が止まらなかった・・・。こう書いている今もリックの駐車場で涙が溢れてる。別に恥ずかしいとは思わない。
長男の記録
1995年10月18日水曜日12時10分48㎝2785㌘
12月14日首が据わる(2ヶ月)
6月23日独りで座る(8ヶ月)
7月22日ハイハイ(9ヶ月)
8月13日つかまり立ち(10ヶ月)
11月18日立った(13ヶ月)
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