丹波通信466 天涯孤独以降
一人っ子の私が12歳で、父が40歳と言う若さで精神病を発症し入退院を繰り返し、15歳で母が49歳と言う若さで亡くなってからの私の生活をもう少しお話ししたいと思います。それは県立鳴尾高校入学直後でした。まず困ったのはお金です。何しろ父は私が12歳、自身が40歳の時に職を失い、生活をする為のお金がありません(*_*) 私は当時の担任の先生に退学願をしました。(高校1年の6月です。)しかし先生は辞めさせてくれません。そこで近所の「成田のおっちゃん」に相談しました。「おっちゃん・・・お金が無いし勉強も解らんから高校辞めようと思うねん・・・」成田のおっちゃん 「ヒロちゃん! そんなん、父ちゃんの保険からお金借りたらええねん!」 私「・・・???」 それが私と生命保険の実質上の出会いです。(私も10歳から保険には入っていたが・・・)
そうして保険会社からお金を借りて学費に充てたのと同時に私のバイト生活も始まりました。 まずやった事は甲子園球場でのコーラ売りです。それから引越屋、ダイエー、高校3年になって車の免許証を取ってからは焼き芋屋さんを卒業迄続けました。私はコーラや焼き芋を売らしても、並みいる大人を差し置いて常にトップセールスでした。
高校には殆ど行ってませんので勿論成績は悪かったです(^_^;)(しかし生徒会長でした。) 450人中380番位です(*_*) (しかしまだ70人も私より下がいてる・・・)で、現役での大学入試は勿論駄目でした。
大学は学力的にも金銭的にも無理だと考えて私は卒業した18歳の4月から土建屋さんで働く事にしました。これが楽しかったですねぇ。体力は付くし仕事の後のビールが格別でした(^^) しかし夏頃から、矢張大学への気持ちが棄てきれずに昼間道路を掘りながらも夜は塾に通いつつ猛勉強を始めました。(大学に入る為に貯金もしました!)
で、翌春めでたく第1希望の立命館大学法学部に入学した訳です。それからは、いか焼屋、たこ焼屋、喫茶店などを大学在学中に経営し人生修行をしたのです。つづく・・・かも知れません(^_^;)
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