丹波通信1283 医大生の娘
兵庫医科大学医学部医学科に、2年浪人して今春入学した娘です。入学手続きした、その日から朝の2時まで勉強しています。元々、娘は医師になるつもりはありませんでした。薬剤師さんになりたかったのです。それも2歳から毎日必死のパッチでオリンピック目指して練習していた器械体操を続けながら…。小学生のときと中学生のとき…二回全国大会にも出場しました。小4の時は昔、オリンピック銀メダリストのIさんと一緒にオーストラリア遠征もしました。
中学は器械体操の特待生として岡山市のS女子学園に入学し寮生活をしていました。6年一貫女子校で運動クラブはどの部も強く、勉強にも厳しい女子学園でした。器械体操部は高校は全国大会にズッと出場する強豪校です。しかし、中学の器械体操部は娘曰く「こんなヌルイ練習していたらいつまでたってもオリンピックには出られないわ」と言って一学期でとっとと退学したのです。で、京都の強豪校H女子に転校の段取りが出来て家族で喜んでいました。
しかし、直前で校長から自宅から1時間以上通学に時間が掛かる人は入学出来ない!と。色々ありましたが京都のクラブチームで関西No.1のJに入る事になりました。しかし自宅からは通えません。Jの近隣のワンルームマンションで一人暮らしを決断して宇治市立の北U中学に転校です。北U中学は『とても元気の良い(*_*)』中学でした〜(笑)
で二学期からまたまた猛練習です。早朝練習→中学→放課後から9時まで練習。しかし度重なる○○の為に中2の9月に辞めて丹波篠山に帰ってきました。娘「薬剤師ってお給料良いの?」妻「良いよ」で薬剤師志望に。娘がお金の事を言うのは何とも不思議でした。幼少期からお金には全く興味が無く、お小遣いを要求された事も…あれが欲しい…と言うた事も無かった子でしたから。高校の時の修学旅行はお小遣い30,000円渡したんです。家族にお土産買って「残ったから返す」と言って25,000円返して来ましたからね。私「イヤイヤ…持っとけ」(笑)
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