丹波通信1207 タエちゃん、布団敷こうか?
我が、高2の頃が絶頂期でした。高校は殆ど行かず毎晩オートバイで走ってました。寝るのは朝方だから8時前に起きて高校には行けなかったですね。高1の6月に母は肝臓がんで呆気なく亡くなりましたし、遡る事その3年前から父は精神疾患になり精神病院に入退院を繰り返していました。
父が居てるものの、正に天涯孤独で生活費を捻出しないといけないから高1の7月~はズッとアルバイトもしていました。最初が甲子園球場でのコーラ売り。初日からトップ営業マンになりましたね(^^) お決まりの新聞配達もしてました。春休み、夏休み、冬休みは日通で引越しです。日給もさる事ながら、荷主さんが下さる「祝儀」が嬉しかったですね…。結構な額を下さる方もいましたしね。だから私も何回も引越ししていますが、必ず「祝儀」は渡す様にしています。もうひとつ言うと、大学卒業してから31年になりますがタクシーでお釣りは貰った事がありません。これは、大学卒業前に池波正太郎のエッセイに書かれていた事に感銘を受けてから取り入れました。池波正太郎のエッセイは全て読んでるし、結構実行していますね。
高校の頃の西宮なんて、まだまだのどかな感じでしたから自宅に鍵なんて掛けてなかったですね。庭に置いている自動車も鍵は付けたままでした。だから友人は勝手に自宅に入ってきて昼まで寝ている私を起こしたものです。で、勝手に冷蔵庫から飲料取り出して飲んでました。全く付き合いの無い中学の同級生の女子に夜中に起こされた時はビックリしました。当時は珍しいパツキン!バイクに乗ってるヤンキーでした。何でコイツがワシの部屋におるねん!?
しかし、私もヤンキーだったから急速に仲良くなり一緒に遊ぶ様になりました。タエと言いました。タエは私が居なかったら父と仲良くタバコを吸いながら何時間でも私の帰宅を一階で待ちました。ある時、タエが言いました。「なかさん(小学からの私のニックネーム)、父ちゃん(友人は皆こう呼んでた)が 『タエちゃん、布団敷こうか?』って言うんよ~」 私「それは…座布団の事やわ~(笑)」 タエ「な~んや…。父ちゃん、変な事言うな~と思っててん…」 タエは高校行ってないけど、17歳やで~(笑)
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