丹波通信1148 医学部に行く…と言う事
兄①は小学6年の卒業文集でハッキリと「将来は医者になる」と書いていました。それと「K1に出る!」と。サスガに医学部行きながらK1は無理ですが、それでも高1最後までボクシングを続けたし、高2まで極真空手を続けました。辞めてからは勉強一筋。脇目もふらず明けても暮れても勉強です。何回も言ってますが平日は8時間。休日は16時間勉強していました。
家族は「兄①なら希望の国立に現役で必ず合格する!」と思っていました。高1からずっとA判定~B判定でしたし、推薦も評定が4.8はありました。兄①は推薦で金沢大学。しかし、センターがダメでした。前期は二次力を生かすべく岐阜大学。歯が立たなかった様です。私立は大阪医科大学、関西医科大学。雪が怖かったので梅田のホテルに独りで宿泊させたのが間違い。殆ど眠れず全く頭が働かなかったそうです。勿論…多分、惨敗。
後期試験も大阪医科大学、関西医科大学。大阪医科大学は補欠合格でした。前期は辞退する合格者が多いです。私立大学の後で国公立の合格発表がありますから…。しかし、後期を辞退する合格者は殆どいません。残念ながら兄①に繰り上げは回って来ませんでした。当時の兄①の顔面は蒼白。家族も全員が固まっていましたね。で、最後に〆切直前で全く考えても無かった近畿大学医学部の後期に滑り込みで願書を出したのです。
霊脳者さんも言ってました。金沢大学は見えない。私立は、何処かは受かる…と。そうして、近畿大学医学部の合格後には「近畿大学は全く考えても無かったから気持ちに余裕があったから受かった」…と。私もそうだと思います。受験生1072人中合格者11名で、合格率は2.5%でした。そこからは、私も妻も本人も悩みました。結局、受かったのは近大だけなんです。顔面蒼白だった兄①は、その後は苦悶の顔に変わるのでした。何故か…。私と兄①の考えが相反するからです…。
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