丹波通信959 2001年頃昔の丹波通信124
私が高校を卒業し、大学に行かず土方をしている折に『やっぱり大学へ行きたい。』と思って土方をしながら1年間通った塾に、20年振りに電話をしました。「○○塾ですか?昔お世話になった中嶋と申しますが、先生いらっしゃいますか?」出られたのは、今はもう50代になっている先生の(女性)のお母様。「エッー、○○町の中嶋さん?元気にしてはるの?」 私、当時お母様とお話しする事は無かったので私の方が驚きました。「覚えていますか?その中嶋です。」
先生は不在との事で指定された夜、再度TEL。「中嶋でございます。」 先生「ハ~ハッハッハッ、どうしたん?」 私「何がおかしいんですか?」 と言いつつ私も大笑い。その後は母校、鳴尾高校に行った時に食堂のおばちゃん達に聞かれた事同様の質問責め。(当コラムNO62をご参照下さい。もう無いでしょうが・・・) そうして一通り説明すると「一度必ず顔を出せ!」と命令されてしまいました。
私「けど、私20年前に『オマエは破門や!』言われて出入り禁止になってますし・・・」 先生「今は堅気なんやろ?そしたら許したる。20年前はどうしょうも無かった人間が-いかにして更正して行ったか-今の、うちの生徒と先生達(大学生)に見せたるんや!」(ワシは見せ物か?)
20年前、何が原因で破門になったか詳しくは覚えてませんが、当時私は猛勉強し立命館の法学部に入学したのに酒を飲んでは街で暴れたり、改造車や単車で夜な夜な走り回って先生の手にあまる子供であった事は確かです。電話の最後に「私はオマエが更正した事より、会社で頑張ってるという事より 『今も生きてる』 という事がホンマに嬉しい。」 私「昔、同じような事をよく言われたけど先生もワシが死んでもおかし無いと思ってたんか?」 先生「アタリマエやないか!」 結局、用件があってTELしてたのに、その用件は切り出せませんでした。
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