丹波通信723 そして阪神大震災

1991年(平成3年)4月1日にS不動産に転職しましたが、5月には自宅の六甲道の新築マンションも手放して魚崎の古い2DKのハイツに都落ちです。家具は棄てきれないので半分以下の面積のハイツに押し込んだ為に空間がありません。しかしダンダンと空間が出来ました。最初は私の錯覚だと思っていました。毎晩夜中に帰宅するし毎晩酩酊状態でしたから。しかし、ちゃんと暗躍していた人物が居たのです!それは・・・。

それが、今の妻です!その頃妻が同居する様になったのですが、私に何の断りも無く、私の家具や思い出の品々を勝手に処分していたのです! 今となっては何を処分されたかも全く解りません。否、当時も解っていませんでした(^^;。なにしろ、毎晩酩酊状態で帰宅していましたから・・・(-.-)。当時の私はS不動産にスカウトでの転職でしたからプレッシャーが凄く、M不動産での『全国1位』の看板以上にしんどいものがあったので夜中迄仕事をして、その後は先輩・同僚と飲んでいました。で、アレルギー性鼻炎なんかにもなってしまいました。今で言う、花粉症ですね(+_+)。

病気はストレスと言う要因が大きいと思います。で、1993年(平成5年)に北区で小さな、本当に小さな3DKを購入しました。時同じくしてS不動産は、長年の夢であるリックに不動産店舗を出店する・・・と言う事が実現して私は最年少店長として赴任する・・・予定でした。

結果的に私は店長では無くただの営業マン・・・としての赴任でした。しかし私の方が圧倒的に売るので、開店たった4ヶ月後に私は店長に抜粋されました。店長になってからの売上げは大変なもので年間100件を1人で契約して、RICでのS不動産のシェアは常に80%以上でした。順風満帆な折に、しかし阪神大震災が起き、住んでいた家の他、結構沢山のものを失ってしまったのです。

    

丹波通信

中嶋祥人の丹波通信 トップセールスマンの歯に衣着せぬ物言いで人気のコラムをHPでも発信中

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