丹波通信378 マイストーリー
私は2003年4月1日に〇〇生命に入社しました。 厄年の転職です。 それ以前は、ある大手不動産会社に10年以上勤務していましたが、一身上の都合で2001年9月13日に唐突に辞めました。(アメリカ9.11の翌々日の出来事です)・・・ということは2001年9月~2003年4月迄の1年半ブランクがある訳です。 結構皆さんは不動産会社退職後スグに〇〇生命・・・と思われているのですが実は違うんです。
1年半何をしていたのか? 大卒後営業しか経験の無い私は、あえて明石市で不動産・建設会社の事務をする事にしました。 総務・経理の責任者として、ある会社の社長がどうしても来て欲しい・・・と手紙を下さり。(上場目前でした。) そこで事務の大切さ、大変さ、辛さをうんと勉強しました。 50人の営業マンの給料は私の手計算です。 決算も経験しました。 私は何度も検算するので一度も間違った事がありませんでしたが何人もに「自分の計算より給料が少ない! オマエ間違ってへんか!?」(年下にもやられましたヨ。) イヤ~ホンマに沢山勉強できました。 社長ありがとうございます。
で、2001年から辛抱強く私にラブコールを送ってくれた〇〇生命大阪中央第5支社のY所長の人間性にほれ、2003年4月に当社に入社したのです。 しかし、先に申しました様にこの年は厄年だという事と、安定した年収の明石の会社を辞める事に妻は猛反対でした。 「ヒロ君、保険なんて売れるん?」 しかし決め手になったのは2003年1月~3月の3ヶ月の間にリック(RIC:神戸六甲アイランド)の女性3名からの手紙でした。 『不動産の売却相談』『離婚の相談』『何らかの形でリックに戻ってきて下さい』という内容の3名の手紙でした。
Y所長にそれを報告すると「中嶋さん、突然リックを去った為、沢山のお客様に申し訳ないから、明石で仕事してると言うてはりましたネ・・・。 お客様を裏切ったから顔向け出来ない・・・と。この方々の相談を見ると・・・全然そんな事は無いじゃないですか! リックの方は中嶋さんを必要としていますヨ! 貴方の思い過ごしです!!」 私は決心しました。 〇〇生命で一人一人の方の担当として一生お付き合いしていく。 その中で不動産や、ヨロズ相談を聞いていこう・・・と。 つづく
0コメント