丹波通信1201 昔の値段
母は小4頃からは毎日お菓子を買ってくれてました。アーモンドチョコレートやタブレット型のラムネの類いを毎日でした。今から思うと、大変恵まれた少年ですね…。それを小学から帰って全て食べるから、その頃から夕食をあまり食べなくなりました。それまでは買って貰ってないのです。何故、あの頃から買ってくれる様になったんだろう…?
幼児~低学年は母の手作りのお菓子でした。お焼き…とは言わなかったけど、その手の物が多かったです。甘いやつね…。たまにタバコ屋さんに父のタバコのお使いをしたら国産ブランド炭酸飲料なんかを買って貰うのが楽しみでした。決して、米国ブランド炭酸飲料は買って貰えませんでした。買って貰ってた国産ブランド炭酸飲料の値段は覚えてないのに、買って貰えなかった米国ブランド炭酸飲料の値段をはっきり覚えてるんですよね~(笑)
それは、夏休みは決まって母の里に行って初体験したのが強烈な印象として残ってるんですね。母の里は兵庫県西脇市の少し奥で多可郡中町と言う所です。そこに毎年1週間程泊めて貰うんです。高学年の従姉妹に小学校のプールに連れて行って貰って初めてこれまで買って貰えなかった米国ブランド炭酸飲料を飲んだんです。旨かったんかな~?あまり覚えてないです(笑)中町中村町。今は毎年、独りでお墓参りに行きます。母方のご先祖のお墓…。母は西宮のお墓です。
西宮の実家は瓦木中学の北東200mの所です。私が生まれた頃は古い農家だけでした。今は畑は少しは残ってますが住宅ばかり。農家の屋敷はウチも300坪ありましたが、他所も同じくらいです。歩いて直ぐの所にショッピングセンターが幼少の頃に出来ました。そこのテイクアウト…昔は、こんな言い方しなかったですね…のお好み焼きは25円でした。ソフトクリームも同じく25円でした。物をネダル…と言う事が出来なかった私は結局は一度も買って貰えませんでした。その精神が、そっくり子供たちに流れています(笑)
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