丹波通信735 精神病の父を持つと言う事
父は自身が40歳。私が12歳の小6の時に、所謂、うつ病になりました。私には兄弟が無く母は専業主婦でした。まだその頃は父も完全に仕事を辞めたのでは無く会社に行ったり休んだりでした。それ以前の父は1年に何回も蒸発して何週間も帰らず各地でギャンブルをしていました。母の気苦労は大変だったと思います。ギャンブル続きの後は精神病ですから・・・。私が中学に上がると精神科に入院する様にもなりました。母の心労もピークだったのでしょう。私が中3の頃から次第と体の不調を訴え出しました。
私が鳴尾高校に合格したら、漸く安心して病院に行きました。しかし結果は最悪でした。肝臓癌でした。私は学校帰りに必ずお見舞いにいきましたが、壮絶な闘病の末にあっという間の6月にあっけなく亡くなってしまいました。病室で最期を看取った時に、私には涙はありませんでした。しかし父は取り乱して、息を引き取った母を揺すり「照子~!」と叫んでいました。
醒めて父を見ていた自分が不思議でした。「なんやこの人は・・・。散々好きな事をして、悲しませ、苦しませておきながら・・・見苦しい。」本当にこう感じました。5月下旬、病院の食堂の前の柱の陰でドクターと親戚に言われました。「お前のお母さんは胃潰瘍じゃ無かったんや。癌やった。もう長く生きられないから覚悟しとく様に。」私は目の前が真っ暗になりながらもこう言いました。「解った。しかしこの事は絶対に父ちゃんには言わんで欲しい。」
親戚「何でや?」 私「そんな事・・・父ちゃんに言ったら散髪屋のSさんや隣のNさんやら近所の人に絶対に言うから。父ちゃんは一人で抱えきれる人や無いから。ほんなら、今迄胃潰瘍やから・・・と思って見舞いに来て無いのに急に色々な人が見舞に来たら母ちゃんは絶対に気付くから。それだけは嫌や!」そうなんです。当時は本人への告知はタブーだったのです。
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