丹波通信603 行方不明の私


と言う訳で従姉のお姉ちゃんは5分程で帰ってしまいました。妻と兄①②も挨拶はしましたが『何が何だか解らな~い(@_@;)』 誰が来て、何でいきなり号泣して、何でこの『恐いお父さん』が見知らぬ女性に叱られているのか・・・意味不明・夢か幻か・嵐の様な数分間だったと思います。その証拠に従姉がいきなり来て、風の様に去って行ったと言うのに「お父さん・・・アレだれ~?」とも言わなかったんですよね(^^;。

私は一人っ子ですが、父は私が小6の時に精神病を発病し入退院を繰り返し母は私が高校に入学してスグに肝臓がんで急死しました。49日の日に父方の親戚に有無を言わせずに家と土地の権利書(西宮で1000坪以上ありました。)と預金通帳全てを取り上げられ、塾とオーストラリアンテニススクールと高校のクラブ活動も辞めさせられてしまいました。先頭に立って私に強要したのが、父方の叔父だったのです・・・日本最大規模の引越センターの会長だった・・・。

その日私は決意しました。『20歳になったら見返してやる。しかし今からまだまだ5年もある。よし、悪くなってやる!悪くなって文句を言わさん様にしてやる!見とれ!オッサン・オバハン!』

と言う訳で16歳の誕生日には単車の免許を取り、鳴尾高校は単車、勿論禁止ですが毎日単車に股がり、あっという間に暴走族になったのです。それで権利書と貯金通帳は取り返し親戚は私に何一つもう文句を言えない雰囲気にしました。

 そんな私の姿が親戚に取っての最後の姿だったので親戚の脳裏には恐い恐い私しか無いのは当然と言えば当然だと思います。(しかも、自宅は父が人にだまされて消滅したので、親戚にとって私は行方不明になっていた様です。)勿論私の結婚式に私の親族・参列者はゼロ。生命保険会社に入社しても一切勧誘しませんでした。ただ・・・数年前から時々母方のお墓参りをした折に、どちらかと言えば私に好意的だった母方の親戚の家には訪ねていたので従姉は私を探してくれた様です。突然の来訪以来毎日メールをくれる優しい従姉です。

丹波通信

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